文 子 の ひ と り ご と   (17-7)
  



機物神社の祭神は「天棚機比売大神(あまのたなばたひめのおおかみ )」で七夕伝説と結びついています。

今から約1600年ほど前、大陸から渡来した漢人庄員(しょういん)によって帰化漢民族の祖先を祀るために、女神を守護神として開かれました。          
その頃、すぐれた文化を持った大陸から来た渡来人のうち織物を専業とする人達は、倉治を中心に土地を与えられて優遇されたと伝えられています

  

天野川は生駒山系に源を発し、淀川に注ぐ1級河川です。昔の天野川は上流の花崗岩を砕き流すほどの流れがあり、
その流された砂によって河原は白く天上の天の川を想像させる事から「天野川」と名づけられたといわれています。

伊勢物語によると、京の都に住んでいた惟喬親王(文徳天皇の第一皇子)が、山崎近くの別荘水無瀬離宮に遊びに来ていて交野が原に鷹狩に訪れた折、惟喬親王が「交野を狩りて天の川のほとりに至る題して歌読みて杯はさせ」とおっしゃられ在原業平が「狩り暮らし棚機津女に宿からむ、天の河原に我は来にけり」(天野河原で狩りをして日が暮れてしまったのだから今宵は織姫星の家に泊めてもらおう)と歌い、これに対し紀有常が「ひととせにひとたび来ます君待てど、宿かす人もあらじとぞ思う」(織姫星は年に一度訪れてくる彦星を待つ見だから、他の人には宿を貸してはくれまい)と歌った有名な話が広く知られるようになり、素晴らしい景観であった事もあり交野ヶ原は七夕伝説の格好の舞台となりました。ttp://www.geocities.jp/heiheiota/top_index.html「七夕伝説」より一部引用しました。                           
  
                       
トップページへ     バックナンバー